抑うつ状態の自分を救ってくれる「かけがえのない本」とは?【福田和也の読書論】
“知の怪物”が語る「生きる感性と才覚の磨き方」
■「自分がどう見られるか」を意識せよ
話を戻しますと、前述したように、どんな本を読むのか、どんな本を自らの愛読書として人に示すのかということは、自分がどんな人間になりたいのか、どんな人間だと、人から見られたいのかという問いに直結しています。
本を読む、本を選ぶというのは、自らの内面の表明であると同時に、どのように自分自身を、その精神面を作っていくのか、という選択と戦略にも関わっているのです。
ですから、もちろん、その選択には、いろいろな方向があり得るわけです。
たとえば、ファッションにおいても、街の風景や、世間のトレンドからいかに浮いてしまっても構わないから、自分の好きな服を着る、という選択も当然あるわけですね。かなりお歳を召しても、フリルやレースのたくさんついた、可愛らしい服を熱愛し、それにこだわる人もいます。
そういう人に向かって、文句をいうのはまさしく余計なお世話というものですし、だいたいにおいてそういう人たちは、自分の選択が社会的にどういう意味を持つかということをきわめてよく理解してらっしゃる場合が多いので、それはそれで見事というか、いくぶん頭が下がるような心持ちさえするわけです。
これは、読書についても、まったく同じことであって、人がどう思おうと、自分は、こういう本が好きなのだ、そのために批判をされようと笑われようと構わないというのなら、それはそれでよいのです。
けれども、読書の場合、ある本を読むことがどういう意味を持つのかということについて、まったく考えないで、そのうえでかなりとんでもない本を平気で読み、公開している方がほとんどなのではないかと思うのです。
つまりは、自分という人間が、こういう本を読むということが、どういう文脈で解釈され、受け取られていくのか、ということについて、まったく意識をしていない、考えようともしていないということです。
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学び闘い抜く人間の「叡智」がここにある。
文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】
◎中瀬ゆかり氏 (新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」